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思い出のスーベニア、ガロ<2>


思い出のスーベニア、ガロ<1>より


次々と中止となる催し物


世界でも有数のカーニバルを誇るヴェネツィアが

最終日の開催を中止というニュースが飛び込んできた。

ヴェネツィアのあるヴェネト州の事態が芳しくないことがわかる。

それにしてもあの規模の催しの中止の判断を下す 決断力とその迅速さに驚いた。


旅程に組むか最後まで悩んだヴェネト州の

蚤の市は、その規模が大きいゆえか

2月の終わりの市は開かれなかった。

そしてこれを書いている今、10月終わり近くまで

一度も開催に至っていない。


2月最後の日曜日、ミラノからさほど遠くない街の市では

朝から先の蚤の市の中止の話で持ちきりで

出店者も穏やかではない感じであった。


2月の終わりに近いある日、数か月取置きしてもらっていた物を見に

ミラノに行くとミラノ中央駅からは人がいなくなっていた。

ローカル線がキャンセルされ始めており

列車の出発案内版はキャンセルの文字で埋まり始めていた。

生活圏のミラノの街は一見通常通りに見えるのけれど

普段観光客の多い場所は閑散としていた。


閑散としたドゥオモ広場で気づいたのは

いつもはバサバサと飛び回っているハトが

群れてしかもきれいにおさまって固まっている。

四角い。

群れに近づくと、メトロの排気口から出る生温い風で暖をとっている鳩。

なんとも言えない空気の中、ふと気持ちが和らいだ瞬間だった。


当初の予定通り、ロンバルディアを後にした。



メトロの排気口で暖をとるハトたち


“山の麓”の州、ピエモンテへ


日に日に状況が悪くなるロンバルディア州から逃げるかのように

トリノへ向かった。

最後の移動。10日程同じところに滞在するので

少し落ち着くであろうと胸を撫で下ろした。


と、この時は間近に迫り来るちょっとした脱出劇が

来ることも知らず。


トリノは背後はフランスとの国境をなすアルプスの山々で

状況の悪いロンバルディア州との境からは距離があった。

まだ街の中はそんなに緊迫した雰囲気もなく

美術館や博物館も開いていて

アポイントの合間に写真展に足を運んだりと

ロンバルディア州にいた時の張り詰めた空気はなかった。


ニュースでは保健省大臣や市民保護局の長の定例会見が

連日行われ、そこで述べられる数字が右下がりになることはなく

ただ、なんとなくまだ落ち着いた雰囲気のピエモンテで

予定をこなしていき、仕入れては梱包、発送を繰り返していた。

残すところ一週間を切り、どうなるのであろう。


帰国まで5日

アリタリアからのメール。

ミラノ–東京の直行便の旅程が、ミラノ発ローマ経由東京行きに変わったこと。

うわ、ローマに行けなかった分、こういう形でローマに会えるのか、と

ポジティブに事態を捉えることにした。

ローマに2時間いられる…!(空港だけど)


帰国まで4日

郵便局へ。小さな郵便局なので入れるのは2人ずつ。

一人がでると、入れ替わりで一人れる。

外は自主的に感覚をあけて並んでいる。

ちょっとタバコ吸うから、と列を外しても誰も咎めない。

その人のスペースを開けておく。

どうだろう、日本だったら外したらもう一回並べとか言われそう。

まだ寒いこの時期、感染しなくても風邪でやられると

ぶつぶつ言いだす人もいる感じ。

でも、おしゃべりしながら和気あいあいと順番を待つ。


帰国まで3日

予定していた蚤の市へ。みんな元気。

距離が近いイタリア人。申し訳ないけれど、テンションがあがってくると

一歩下がる。一歩踏み出されればまた一歩、と。

そう、パーソナルディスタンシング。

別の街の市で出会ったディーラーに再開して、明日もよろしくと

イタリアが止まってしまう気配は全くなかった週末の始まり。


フライト当日の朝にマルペンサ空港にトリノから向かう旅程を

トリノ滞在を一日削って空港隣接のホテルに泊まることにした。


ミラノから東京の直行便は遅い午後なので、他の街にいても

あまり問題はないのだが、ローマでトランジットのため

出発が早くなったので念のため。

今回ばかりはロンバルディアを出なくては行けない。


帰国まで2日

この日も市へ。イタリアではミモザを贈る週間のある日。

親切なディーラーから花束をいただく。ありがとう。

これが最後の仕入れの機会なので後悔なきよう歩きに歩いて

仕入れられるだけ仕入れて、よし、梱包だ、というところで

ロンバルディア州の封鎖が決定。

え?マルペンサ空港はロンバルディア州。

今いるところはピエモンテ州。

封鎖とはどの程度の封鎖なのだろう。


帰路のフライトまで残すところ2日というところで

目の前に大きな壁が立ちはだかった。


帰路のフライトのチェックイン完了。


帰国まで1日

スーツケースたちに収まらない荷物を

フライトの超過で荷物を預けるつもりであったが、

できるだけ身軽になるために私物を郵便局まで送りに行くことにした。

3日前とはすでに状況は異なり、並んでいる列の人はぴりぴりしている。

ちょっと列を見出そうものなら一触即発な雰囲気。

そして客は一人しか入れない。

こんな事態はアジア人が原因と思っているのであろうご老人が

このウィルスめ、とこちらに向かって行ったのは聞き逃していないよ

おじいちゃん。気持ちはわかる。でもね、それでは解決にならないよ。

3日前の和気あいあいはどこにもなかった。


よし、送った、と滞在先に戻ったところで悲報。


メールが一通。

「あなたのフライトはキャンセルされました」

チェックインしたシステムからの味も素っ気もないメール。


そして日本政府がどうやら北イタリアからの入国制限をするとのこと。


えっと、キャンセル、ですね。

頭がぐるぐる。

これから、空港隣接のホテルに向かう予定だったのが

行ってもフライトはなし。


落ち着け落ち着け。


イタリアから出られない覚悟をするとしたら

北は知らない、どの道ローマに行きたい。


落ち着け落ち着け。


今日のフライト情報をチェックしよう。

ローマ−東京は飛んでいる。

ミラノ−ローマの国内線は飛んでいない。

ということはローマにたどり着けば東京に着く。

万が一東京に届かなくても、勝手のわかるローマがよい。


アリタリアはここ数日まったく電話は通じず

マルペンサ空港がだめならトリノのカゼッラ空港へ行こう。

空路でトリノ−ローマだ。


今度はフィウミチーノ空港隣接のホテルを調べ始めた。

なんとなくマルペンサ空港のホテルはぎりぎりまでキャンセルしなかった。


トリノ−ローマの航空券が買えるのか、そしてローマ–東京は明日、

果たして飛ぶのだろうか。

その間もアリタリア航空に電話はつながらなかった。


大きめのタクシーが到着して、トリノの空港へ。

30分ほどで着くから、着けば何か展開はあるであろう。


「カゼッラ空港までお願いします。」

タクシーが動いた。


ずっと気になっていたのは、

アリタリアからフライトキャンセルの案内が来ていないことだった。

あくまでも事前チェックインシステムからのメールで、

アリタリアはローマ経由のお知らせ以来だんまりだ。


車中そんな思いで、メールを気にしていると、


「フライト旅程が変更になりました」

とアリタリアからメール。

詳細はともかく、フライトの出発空港と日時を確認すると明日、マルペンサ発!



「運転手さん、すみませんがマルペンサ空港に行き先変えてください!」

「いいけど、高速代とかかかるけどいいの?」


お願いしますと答えて、ようやく新たな旅程をゆっくり見た。


ローマ経由、トランジット2回、マルペンサから、

マルペンサからどこに飛ばされるのだ?

見慣れないコード、LIS、リスボン?


落ち着け落ち着け


ミラノ→リスボン→ローマ→東京


なんじゃこりゃ、の一言


トランジット2回は今まで経験したことはなく

まして目的地と真反対の方向に進んだこともなく。


キャンセルせずにおいた空港隣接のホテルに着いたら

まずは休もう。

激しい旅が待っていそうだから。


続く



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